境内を巡る
PRECINCT GUIDE
五重塔の高さは地上より53m。
五重塔ごじゅうのとう
スリランカ伝来の仏舎利を奉安
朱も鮮やかな五重塔は、昭和48年(1973)に再建された、鉄骨・鉄筋コンクリート造りの塔である。外から見ると、五重塔は地上面から建っているように見えるが、実際は基壇状の建物(塔院)の上に建っている。
塔は、仏舎利を奉安したインドのストゥーパを起源とする。浅草寺の五重塔の最上層には、スリランカのイスルムニヤ寺院から昭和41年(1966)に奉戴した仏舎利が納められている。
浅草寺に塔がはじめて建立されたのは、天慶5年(942)、平公雅によるとされる。当時の塔は三重塔であり、本堂に向かって二つの塔が左右に配された、「薬師寺式伽藍」ではなかったかという見解もある。というのも、江戸時代・寛永年間の浅草寺境内図を見ると、当時は、本堂の東側に五重塔、西側に三重塔が建ち、境内に二つの塔が並存していたからである。焼失後、慶安元年(1648)に徳川家光が五重塔を再建するものの三重塔は復興されなかった。
この慶安の五重塔は本堂の東側に位置し、現在も礎石が残る。江戸時代は、上野寛永寺五重塔、芝増上寺五重塔、谷中天王寺五重塔とともに「江戸四塔」として親しまれた。特に浅草寺の五重塔は、浅草や浅草寺を描いた絵画における必須のモチーフであり、浅草のランドマークであった。
明治19年(1886)、各所傷んでいた塔を修復することになり、塔のまわりに足場が組まれた。このとき修復の費用を捻出するために、一般の参拝者に足場を登らせた。足場に設けられたスロープ沿いに最上層の屋根部分にまで登れたため、人びとは遥か遠くまでの眺望を楽しんだことだろう。
「浅草寺五重塔修復之図」梅堂国政 画。明治19年(1886)、東京府の時代五重塔修理に際しその費用捻出も兼ねて、塔の周りに組み上げた足場を登らせた。
旧五重塔の古写真。明治44年(1911)に国宝に指定された。昭和20年焼失。
九輪が曲がった五重塔
江戸時代以前の全国の五重塔は、外観だけ見ると五階建てで登ることができるように思えるが、じつは内部は心柱が通る空洞で、実際には登ることができない。この構造が地震に強いといわれ、浅草寺の旧五重塔も安政2年(1855)の大地震の際には、瓦が落ちた程度で倒壊しなかった。しかし、揺れの影響で頂上の九輪が曲がり、江戸っ子たちは「魔が通った」(「曲がった」の語呂合わせ)と語り合った。絵図の「浅草寺大塔解訳」は、九輪のみ曲がったことをよく示している。
建物概要
位置 | 本堂の西南 |
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構造 | 鉄骨、鉄筋コンクリート |
塔高 | 48.32m(地上、53.32m) |
九輪高 | 15.07m |
初層幅 | 7.50m四方 |
屋根瓦 | ※なお、旧塔の三層西南の稚児棟の羊角猿面瓦は、新塔でも旧塔に模して葺かれている |
面 積 | 土瓦風チタン瓦 塔院 1723.12m2 屋上(牌殿)1,195.58m2 延面積 6,216.23m2 |
五重塔院
地鎮式 | 昭和43年(1968)10月17日 |
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着工式 | 昭和45年(1970)10月17日 |
(第一期工事) 塔完成 | 昭和48年(1973)11月1日 上棟式 昭和46(1971)11月25日 |
聖仏舎利(せいぶっしゃり) 塔最上層の第五層に奉安 昭和41年(1966)3月18日、スリランカ国、 イスルムニア寺院より正式に請来された。 仏舎利とは、お釈迦さまのご遺骨のこと。 |
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牌殿 | 百躰観音像 塔の四方を囲うように霊牌殿が設けられている。霊牌殿1室(区画)ごとに一躰の聖観世音菩薩を安置し、その周囲にご信徒各位の永代供養位牌を奉安する 。非公開。 永代供養の受付は終了いたしました。 |
正面に阿弥陀三尊仏が安置され、永代供養位牌が奉安される。 | |
その他施設 | 現在は1階が寺務所となっており、大・小会議室などを備える。 |
法要 | 牌殿の参拝日については、毎月15日の例月回向法要、及び、春季彼岸会(令和6年3月18~20日)・7月(お盆)盂蘭盆会(令和6年7月13~16日)・秋季彼岸会(令和6年9月20~22日)の各日回向法要。 釈尊の三聖日である涅槃会(毎年2月15日)・仏生会「花まつり」(毎年4月8日)・成道会(毎年12月8日)には、牌殿の参拝と五重塔最上層「聖仏舎利」の参拝と大法要を厳修いたしております。 その他、毎月1日には大法要(非公開)、毎日の永代供養(非公開)が厳修されます。 なお、参拝日のご来院は、原則として、永代供養のお位牌をご奉安されている方、塔院でのご回向(故人のご供養)をお申込みになる方に限っております。 ご不明な点は勧財部までお問い合わせ願います(勧財部直通電話:03-3841-3711)。 |
建立小史 | 天慶5年(942)平公雅建立 長久2年(1041)大震災にて倒壊。その後詳細不明 寛永元年(1624)修復、同8年炎上、同12年再建、同19年炎上 慶安元年(1648)徳川家光再建。元禄5年(1692)修復 享保4年(1719)、明治19年(1886)修復 明治44年(1911)国宝指定 昭和20年(1945)3月10日 東京大空襲にて炎上 昭和48年(1973)11月1日 塔院とともに再建 |