境内を巡る
PRECINCT GUIDE
広々とした池を中心にした約1万2200m2の庭園(非公開)。満開の桜が春の庭を彩る。
伝法院でんぼういん
浅草寺の本坊と国の名勝庭園
参拝者で賑わう仲見世の西側に、閑静な庭園が広がっていることは意外に知られていない。伝法院は浅草寺の本坊であり、大玄関・客殿・使者の間、(安永6年(1777)の再建)大台所・大書院・住職の間(安永6年以降の再建)などの建築と、江戸時代初期の庭園からなる一画である。江戸時代初期の頃は「観音院」や「智楽院」と呼ばれていたが、浅草寺中興四世の宣存僧正の坊号をとって、元禄3年(1690)頃より伝法院と称されるようになった。
庭園の大部分を占める大池泉は、北東部と南西部の池に大きく分かれ、2つの池は細い流れでつながれている。池の周囲に小径がめぐらされた「廻遊式庭園」であり、歩むごとに景観の変化を楽しめる。寛永年間(1624~44)に、作庭家として著名な小堀遠州により築庭されたと伝わる。庭園の諸所に石塔や石灯籠などが置かれ、景観に趣を添える。
客殿には阿弥陀三尊像が奉安され、その左右には徳川歴代将軍、そして浅草寺歴代住職の位牌が安置されている。山内住職の修行道場であるとともに、6月3、4日の伝教大師忌(山家会)、11月23、24日の天台大師忌(天台会)には「法華八講」の法要が修される。
平成23年(2011)に伝法院の庭園が国の名勝に、平成27年(2015)には「客殿、玄関、大書院、小書院、新書院、台所」の6棟が国の重要文化財に指定された。一般公開はしていないが、不定期で特別公開されることがある。
客殿の額「伝法院」は、安永7年(1778)に公遵法親王により書かれた。
客殿の大玄関。浅草寺の住職を兼務された輪王寺宮の本坊に
ふさわしい豪壮な佇まいを今に伝える。
伝法院本尊の阿弥陀如来像。
左右に徳川歴代将軍と浅草寺中興歴代住職の位牌が並ぶ。
客殿 | 安永6年(1777)の建物 額「伝法院」は、安永7年(1778)公遵法親王筆の模写。 |
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本尊 | 阿弥陀如来 |
庭園 | 伝小堀遠州作 寛永年間(1624~44) 廻遊式庭園 ※元禄年間に輪王寺宮家の直轄となり明治まで秘園とされた 。 ※小堀遠州(1579~1647) 本名は政一といい、作庭家として優れていた近江(現在の滋賀県)の大名。 |
総面積 | 25,568.4m2(7,748坪) |
庭園面積 | 12,216.6m2(3,702坪) |
天祐庵 | 天明年間(1781~89)の作、名古屋の茶人である牧野作兵衛が、 京都表千家の「不審庵」を模して作る。 昭和33年(1958)10月、浅草寺婦人会寄進(都重宝) 平成3年(1991)4月、改修復原工事完成 |
石棺 | 長さ2.5m・幅1.2m・高さ75cm 古墳時代のもので、明治2年(1869)、本堂後方の熊谷稲荷にあった塚より出土したもの。凝灰岩製。浅草寺のご本尊さまご示現以前において、浅草の地に有力な豪族が住んでいたことを示している。 |