写真:浅草神社

明治18年(1885)に氏子によって寄進された石鳥居。正面に拝殿が建つ。

浅草神社あさくさじんじゃ

ご本尊示現に関わる三神を祀る

写真:三社祭

三社祭。町内神輿連合渡御。浅草寺境内北側に町会神輿が集まる。

写真:明治8年(1875)に描かれた「正遷宮行列之図」

明治8年(1875)に描かれた「正遷宮行列之図」。

浅草神社は旧名を「三社権現社」という。推古天皇36年(628)に浅草寺のご本尊聖観世音菩薩を感得した檜前浜成・竹成兄弟と、私邸を寺としてご本尊をお迎えした土師中知の三人を祀るところから「三社」と称される。すなわち祭神はこの三神であり、浅草の総鎮守として崇敬を集めている。
 平安から鎌倉時代にかけて、日本の神は仏教の仏が姿を変えて現れたものという習合思想が盛んになり、浅草寺と浅草神社も長く不可分の関係にあった。浅草神社の神前で浅草寺の僧侶が読経し、祭礼もともに行なわれていた。浅草神社と称するのは、明治政府による神仏分離令以降のことである。
 この社殿は慶安2年(1649)三代将軍徳川家光が寄進し、国の重要文化財に指定されている。この時本堂も同時に建てられたが惜しくも消失してしまう。神社はその大火を免れ当時の様子を今も残している。社殿は平成8年(1996)に修理が行なわれ、かつての鮮やかな色彩がふたたびよみがえった。
 浅草神社の最大の年中行事が三社祭である。江戸時代は「観音祭」と呼ばれ、浅草寺と一体となった祭だった。そして今も姿を変えながらも、浅草の初夏を彩る大祭として賑わいをみせている。

写真:明治8年(1875)に描かれた「正遷宮行列之図」
「慶安縁起」に描かれた浅草神社。

境内マップ