年中行事
ANNUAL EVENT
浅草寺寺舞(せんそうじじまい)
昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲は浅草の町並みを一変させた。もとよりその中心であった浅草寺も大半の伽藍を焼失し、その復興は地元のみならず全国のご信徒にとって悲願であった。
本堂をはじめとした諸堂の再建はご信徒の方々に喜びと勇気を与え、ご信徒の心を一層結びつけることにもなった。これを期に寺舞が創始され、地元有志の方々による奉演は、ご縁日に訪れる参拝諸人を楽しませている。
節分会で奉演される七福神の舞
仲見世を練り歩く宝童子。
福聚の舞〜七福神の舞・宝の舞〜
2月節分(七福神の舞)・5月5日(宝の舞)
昭和39年(1964)の宝蔵門落慶を記念して創始された舞が「福聚の舞」。福聚とは『観音経』にある「福聚海無量(観音さまが備えている海のごとき福徳の聚り)」から名付けられたもので、節分会で奉演される「七福神の舞」と5月5日の端午の節句に奉演される「宝の舞」とがある。
「七福神の舞」は、江戸末期から明治初年まで浅草猿若三座の1つ「市村座」で興行に先立って演じられた狂言を再興したもので、節分会に観音さまの功徳を讃えるために奉演される。
「宝の舞」は端午の節句に奉演される寺舞で、観音さまの福徳に感謝するとともに子供の成長を願う行事。ご本尊の示現に関わった檜前浜成・竹成兄弟が漁師であったことにちなみ、漁師の衣装をまとった宝童子が宝船を曳いて練り歩く。
春、初夏、秋に演じられ、参拝者を楽しませている。
白鷺の舞
4月第2日曜日、5月三社祭、11月3日
昭和43年(1968)に明治100年記念(東京100年)行事として始められ、『浅草寺縁起』(寛文縁起)に描かれる「白鷺の舞」を再興した寺舞。鷺舞の神事は京都八坂神社が起源とされ、浅草寺の舞はその鷺舞を参考に、寺舞保存会によって演じられている。白鷺の装束をまとった踊子が舞い、武人、棒ふり、餌まき、楽人、守護童子などが、「白鷺の唱」を演奏しながら練り歩く。
観音さまのご縁日18日の8にちなみ、金龍は長さ約18m、重さ約88kgで、8名によって生けるがごとくに操られる。
金龍の舞
3月18日、10月18日
昭和33年(1958)、本堂再建を記念して創られた寺舞でその名は浅草寺の山号「金龍山」に由来する。観音さまを象徴する「蓮華珠」を先頭に、これを守護する「金龍」が仲見世や境内を練り歩く。金龍浅草組合花組のお囃子の中、勇壮華麗な舞が繰り広げられ、参拝者から歓声や拍手が起こる。